隨想
信州放談
白木 正博
1
1前東大
pp.245
発行日 1953年4月10日
Published Date 1953/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409200824
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1秩父宮樣に心からの敬意と嚴肅な感謝とを捧げまつる
去年は正月早々恩師木下先生に逝かれて悲しい想いをしたが,ことしは思いも掛けぬ宮様の御薨去を病床で拜して感慨一しお深く暗涙に咽び,また今年もか,そして明年はと取越し苦労をする。
宮様が早くから民主的で,我等の宮様,スポーツの宮様として國民に親しまれ敬愛されて來たのに結核のため親しく謦咳に接することが出來なくなつて早くも10餘年が過ぎ去つた。結核にはその病原菌が確認されているにも拘らず特效藥がなく依然として早期發見,早期多面的療養の外なく,而もこれによつて案外高い治癒率を擧げ得ると云うのが我々の常識である。敗戰によつて國情が劇變したとは云え,宮家であり,かつ結核の權威,謹嚴そのものの遠藤博士が献身的に奉仕して居り最近はパス,ストマイ,その他のよりよい抗結核劑が活用されているので御全快はただ時間の問題のみと楽観して居たのに,早急の御長逝は全く寝耳に水の想いであった。と同時に結核は依然我等の大敵であり,時期を逸したり,病機によつては救う途がないと云う感を深うし,長大息を禁じ得なかつた。次で宮様が,こののろうべき結核症のために貴きなきがらの解剖を御遺言され,だびに附されたことの異例であることは勿論,今後のわが結核撲滅にはかり知れぬ大きな啓蒙をふされたことは,全國民殊に醫人として,深い深い敬意と嚴肅な感謝とを捧げまつるものである。
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