定点観測
—東京・三宅島から—何がなくとも医者が「くすり」—「三宅島噴火」体験記
箕輪 良行
1
Yoshiyuki MINOWA
1
1三宅村阿古診療所
pp.246-247
発行日 1984年3月1日
Published Date 1984/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541208265
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10月3日雄山が噴火
出張診療から阿古へ帰ってくると所々に住民が立ち並んでいる.車中の私に向かって何か言うが聞こえない.往診先で車を止めて外へ出ると道端のおばさんが車を見ながら,「こんなところに車を止めて」と迷惑そうに言う.いつもと違う.今日10月3日は特別な日だったかなあと考える.軒先を過ぎると患家のものが「先生大変なことになりましたねえ,噴火ですよ」と教えてくれた.私はピンとこない.「ハア」と答えて,指されたほうを見上げる.屋根の上,阿古のまちを囲む山の頂近くに火柱が真っすぐに立っている.ガスバーナーの炎を立てたような火柱.確かにゴーと低い響きが伝わってくる.時計を見ると3時半,雄山が噴火したらしい.そういえばだれかが半鐘を打ち続けている.
寝たり起きたりの老婦人を診察し,「大したことはないでしょう.薬を取りに来て下さい」と指示する.「ではまた」往診を済まして阿古診療所へ戻る.玄関の外には看護婦と職員が立って噴煙を見つめている.村内放送によれば,雄山が噴火したので島の北側へ避難せよとのこと.「どうも噴火らしいから,我々も避難の準備をしよう」.救急蘇生セット,縫合セットとガーゼ類,輸液・輸血用の道具一式,酸素ボンベ,重要な薬剤などを手分けしてそろえる.
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