歴史
日本整形外科学会雑誌から—第7巻から第8巻まで
天児 民和
1
1九州大学
pp.278
発行日 1966年6月25日
Published Date 1966/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408908441
- 有料閲覧
- 文献概要
第7巻の巻頭を飾る論文は東陽一博士の「ミエログラフィーと脊髄外科」で昭和7年第7回日本整形外科学会総会の宿題報告である.そもそもミエログラフィーは我が国においては大正15年熊埜御堂教授が脊椎骨折に行なつたのが臨床的応用の最初であるが,これを脊髄腫瘍の診断とその高位決定に応用し,腫瘍摘出手術に成功したのは昭和4年中田瑞穂教授の外科学会における発表が最初である.東博士は当時九大整形外科の助教授としてミエログラフィーを利用し脊髄外科を開拓せられた.脊髄外科は技術的には困難なものではないが手術部位,即ら脊髄,脊椎の高位を決定することが最大の難事であつたが,ミエログラフィーの出現によりこれが改善せられたために急速に脊髄外科の発達をみたものであつて脊椎の病変に関して多くの業績をあげてきた整形外科がこの方面に研究分野を広げていつたことは賢明と言わざるを得ない.
Copyright © 1966, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.