連載 整形外科philosophy・5
医道について
辻 陽雄
1
1富山医科薬科大学医学部
pp.903-906
発行日 1997年8月25日
Published Date 1997/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408902231
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
●摩可不思議な言葉―「施療」「投薬」
何故いま医の道徳が論ぜられなければならないのか.少なくとも江戸時代の漢方医は「施し」の思想を貫いていた.それは古代中国で活躍した名医といわれるものの思想に大きく影響されたからであろう.例えば魏の時代の外科の名医であった華佗(かだ)は病を治す以上に,人を医したことで有名であり,最高の医者を上医とか華佗などと称する.「華佗は人を医す」という訳である.本論文の末尾に「扶氏医戒之略」をあえて載せたのも,ドイツの名医フーフェランド教授の教えが,今もって真実であり,鏡とすべきことだからである.
「施し」という医療の基本思想から「施療」という言葉が生まれた.その本来の意味の施しが,いつの間にか医者の心の奥に一種の「…してやる」思想に,すなわち特権意識あるいは強者意識に衣替えしてしまったように思える.したがって施療という言葉は最早や死語とすべきであろう,世に「投薬」という言葉もある.薬を患者に投与するということから生まれた言葉らしい.何故に患者に薬を投げ与えねばならないのか.良いように解釈するとすれば,「良薬口に苦し」といういわれがあるが,薬を一気に口の中に投げ込むことからの言葉なのだろうか.そうだとすれば投与という言葉も幼小児や寝たきり老人など特殊な場合しか通用しない摩可不思議な言葉といえよう.
Copyright © 1997, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.