特別企画 阪神・淡路大震災にまなぶ
被災地の後方病院における管理者として考えたこと―問題点,反省事項および今後への提言
片岡 治
1
1国立神戸病院
pp.1281-1287
発行日 1995年11月25日
Published Date 1995/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408901767
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はじめに
今回の気象庁呼称の兵庫県南部地震でマグニチュード7.2,震度7を記録した激震地帯は,西は当院の所在する神戸市須磨区から東は筆者の居住する西宮市西部までに至る,長さ22キロメートル幅2キロメートルの帯状地帯であったと報道されている1)(図1).当院は須磨区の六甲山系西端北部の海抜100メートル余のニュータウンの中心に位置するため,甚大な被害と火災の発生した六甲山系南部の神戸市,芦屋市,西宮市とは別天地の差があり,周辺には家屋の倒壊はほとんどなく,ライフラインは3時間余の停電と一時的な断水のみでほぼ確保され,同じ須磨区でも被害の大きかった南部地区とは全てにわたり別条件の状態であった.病院の被害は,建物では増設部分のジョイントの離開など,備品では4階以上の病棟内の医療機器の破損など,多少の被害はあったが,診療機能上の影響は軽微であった.通電しても稼働しなかったエレベーターも当日午後4時には復旧した.また,幸い入院中の患者にも勤務中の職員にも人的被害はなかった.したがって,当院の医療機関としての置かれた立場は,Phase-0およびPhase-1の時間帯で災害現場での医療を担当した施設ではなく,被災地域内における後方病院と位置づけられる2,3)(表1).
当院の初期救急患者の受入れ状況は,地震後に最初の患者が受診したのは発生後約30分の6時20分頃であった.
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