特集 パラスポーツ・メディシン入門
緒言
田島 文博
1
Fumihiro TAJIMA
1
1和歌山県立医科大学リハビリテーション医学講座
pp.16
発行日 2021年1月25日
Published Date 2021/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408201882
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2020年オリンピック・パラリンピック開催地に東京が決まったのは2013年であり,日本国中が湧き上がった.しかし,その時の報道の多くが「東京オリンピック開催決定」であったことに私は不満があった.「東京オリンピック・パラリンピック」である.少し年配の方なら覚えておられるだろうが,1988年オリンピック開催にあたっては名古屋とソウルが立候補し,一騎打ちとなった.日本人は誰もが名古屋開催を確信していたが,投票の結果,52対27という大差でソウルが選ばれ,開催にも成功した.
なぜソウルが成功となったかについての私見を述べたい.1981年当時の情勢は,モスクワオリンピックで西側諸国は参加を見合わせ,次のロサンゼルスオリンピックは東側諸国が不参加を示唆していた.加えて,ロサンゼルスオリンピックは商業主義的と非難されていて,パラリンピックは別の地域で開催された.韓国は何としても東西両陣営に参加してもらった上で,商業主義的色彩を消したいと考えた.そこで,パラリンピックに光を当て,オリンピックと同じ会場で同等に開催することとしたのである.東西が分裂しにくく,脱商業主義としても非常にわかりやすかった.以後,パラリンピックはオリンピックと同等となり,多くの人に感動を与え続けている.
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