連載 整形外科と蘭學・14
大江医家と栗崎流免許
川嶌 眞人
1
,
カトリーナ・シバタ
1
Mahito Kawashima
1
,
Katrina Shibata
1
1川嶌整形外科病院
pp.786-789
発行日 2005年7月1日
Published Date 2005/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408100142
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■大江医家
モラロジーの創立者,廣池千九郎は慶応2年(1866)大分県中津市に生まれ,若いころは歴史家を志していた.中津城五代目の藩主 奥平昌高は藩の儒学者倉成龍渚の提言を入れて,寛政2年(1790)に藩士の文武修練の場として進脩館という学校を設立した.この学校で学んだ多くの藩士や医師がその後に蘭学者として活躍することになったが,明治4年(1871)の廃藩置県に伴い,廃校の憂き目に会い,和漢の蔵書数千部は中津高等小学校に移管されていた.廣池千九郎は明治18年(1885),2月(19歳)より6年間にわたってこれを読破し,明治24年(1891)には「中津歴史」を刊行した.
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