メディカルエッセー 『航跡』・25
チーフレジデント物語—1972年風ライフスタイル
木村 健
1
1アイオワ大学医学部外科
pp.1178-1179
発行日 1998年9月20日
Published Date 1998/9/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407903283
- 有料閲覧
- 文献概要
1972年当時を想い起こしてみると,ニクソン大統領のウオーターゲート事件隠蔽疑惑が全米を揺るがせていた.ベトナム戦争は泥沼にはまり込み,若者達の間では徴兵逃れが最大の関心事であった.各地の大学では反戦運動がまき起こり,歴史はじまって以来の厭世ムードに包まれていた.そうした世相を反映するかのように,髪は肩まで伸ばし放題,体の線にぴちっと合ったニットのシャツにタイトなベルボトムパンツ,ド派手な太いネクタイをしめるのが流行っていた.
ボストンフローティング小児病院は,タフツ大学医学部のフランチャイズであるニューイングランドメディカルセンター(NEMC)に属した小児科部門の教育センターである.小児外科は小児科が支配する小児病院にありながら,NEMCの外科に所属していた.外科のチーフは血管外科のDr.デタリングであった.彼の分野からみると小児外科はサハラ砂漠から眺めたトウキョウのような存在であったろう.心臓,血管,腫瘍,形成,小児など全分科が週に一度集う外科全体の死亡合併症例検討会(M & Mカンファレンス)では,時間が余ったから仕方なしに小児外科の症例も討論に加えてやるというまま子扱いをされた.腹部大動脈瘤破裂や頸動脈閉塞など熟年疾患を扱っている外科医の目には,体重1,000グラムの食道閉塞症に6-0の縫合糸数本で食道を吻合したなどという報告は,次元の違う世界の出来事に思えたのであろう.
Copyright © 1998, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.