メディカルエッセー 『航跡』・24
チーフレジデント物語—再び,カルチャーショック
木村 健
1
1アイオワ大学医学部外科
pp.1042-1043
発行日 1998年8月20日
Published Date 1998/8/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407903258
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通りをはさんだポズナーホールにある当直レジデント宿舎の空部屋に仮の宿を見つけたが,それもいつまでも続けるわけにはいかない.アパートを探す段となると,全米どこの街でもまず新聞が頼りである.ニッポンのように不動産屋まで出向く必要はない.新聞の「貸したし」という欄を見ればこと足りる.手術や回診の合間片っぱしから電話をかけてみる.家主不在であったり,たまに電話がつながっても,相手が心もとない英語遣いと知ると電話を切ってしまう人もある.それでもいくつか仮交渉が成立し,下見の予約をとりつけた.Dr.フィッシャーは,患者の状態や手術予定については尋ねてくれるが,「どうだ住居は決まったかい」などとは聞いてくれない.「外国からはじめて来て苦労しているのに助けてくれてもバチは当たるまいに」と恨んだりもした.だが,今にして思うと,「アパートを探すのを助けて欲しい」などと言わずによかったと思っている.ここアイオワ大学でも毎年レジデントが去り新しく来たのと入れ替わる.その都度,教授にむかって住居の手配を手伝えなどというものはいない.外国人であろうが生粋のアメリカンであろうが,そういうことは自分でするのが当たり前というのが常識である.ニッポンでは新しく人を雇うとあれこれ気配りするが,あれは立派な一人前の大人に対してちとかまいすぎではないか.
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