病院めぐり
松山市民病院外科
渡辺 良平
pp.1040
発行日 1998年8月20日
Published Date 1998/8/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407903256
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当院は,松山城の南西,JR松山駅より徒歩3分の所にあります.戦後しばらく駅前地区には医療機関がなく,地元の幼児が飴玉を喉につめ,そのまま死亡するという痛ましい事例が発生したことが契機となり,地元有志が病院の設立を発起し,昭和31年6月1日に松山市民病院が開設されました.経営主体は「財団法人永頼会」であり,関連施設として松山中央乳児保育園があります.永頼という名称は,書経「大禹謨」にある「萬世永頼」をその出典とし,舜帝が禹の治水の功績に対し「万世の後まで永くおかげをこうむるであろう」と褒め称えた言葉に由来します.職員一同はこの言葉に流れる精神を忘れることなく,地域社会への病院本来の使命を達成すべく日々努力を重ねています.
内科と外科,病床数20をもって発足しましたが,昭和36年産婦人科,昭和41年耳鼻科と眼科を設け総合病院としての態勢を整え,昭和42年脳外科,麻酔科,昭和46年整形外科,皮膚科,昭和50年以後病理部,泌尿器科,小児科と逐次診療科目を拡充しました.この間,宮田院長のもと施設も除々に拡張し,平成6年10月に現在の新館建築を完了し,現在19診療科538床(すべて一般病床)+透析12床,医師数78名,1日平均外来患者数約1,200名であります.
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