メディカルエッセー 『航跡』・2
ドレツキー教授の腕時計
木村 健
1
1アイオワ大学
pp.1308-1309
発行日 1996年10月20日
Published Date 1996/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407902426
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1978年5月,植田隆会長のもとで第11回太平洋小児外科学会が開かれた.世界六十か国から150人もの小児外科医が集い,現在の天皇皇后両陸下である明仁皇太子殿下御夫妻の御臨席を仰いで,大規模な国際学会となった.当時はニッポンの経済成長が頂点にさしかかろうとしていた時代であった.数年前に迎えた第一次オイルショックから脱却しつつある時でもあった.ニクソン・キッシンジャーのコンビで永く閉ざした中国の扉が開かれはじめたすぐあとのことであったが,自由主義諸国と対立するソ連は依然として謎につつまれた遠い存在であった.
学会に出席する人は,前もって登録を済ませるのが普通である.準備をする側ではどの国から何人の参加があるか前もって握んでおかねばならないからだ.登録者のリストにはソ連からの参加者は含まれていなかった.
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