鴨川便り・10
看護婦
牧野 永城
1
1亀田総合病院診療統括
pp.1316-1317
発行日 1994年10月20日
Published Date 1994/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407901654
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医師生活の30数年,臨床の場では看護婦とは常に一緒であった.振り返ると彼女たちとの憶い出が走馬灯のように駆け巡る.多くの顔が浮かんでは消える.優しい人,綺麗な人,明るい人,利かぬ気の人,てきぱき仕事をする人,厳しい人,たくさん出てくる.歳月が追憶をきれいにするためか,出てくるものは洗い流されたきれいな憶い出だけである.皆いい人達だった.
看護婦と医師の関係は今日でこそ職場のパートナーとしてだが,過去に遡ると看護婦は単なる医師の下働きのようなものだった.彼女たちが今日の社会的地位を得るまでにはそれなりの年月と歴史がある.筆者が働いていた聖路加国際病院の創設者トイスラー先生が日本の看護婦に「雑巾と箒を捨てなさい」と言ったのはつい60年ばかり前のことにすぎない.彼は日本に看護教育の導入を計った先達だった.60年さかのぼる必要もない.筆者がまだ若く大学医局にいた30数年前でさえ,看護婦の名は呼び捨てだったし,医局では,医師と看護婦の恋愛はタブーであった.結婚しようとして教授から破門された話もあったし,逆に医師と看護婦の結婚の媒酌をしたという教授のことが信じ難い美談として話題になったこともあったのだ.
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