患者と私
仁術は現存する
三宅 徳三郎
1
1第28回臨床外科学会
pp.704-705
発行日 1967年5月20日
Published Date 1967/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407204309
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体験
私の記憶では,子供の時には病気という名の付くほどのものにかかつたことはない.しかしよほど腕白だつたのか,身体髪膚,敢えて之を毀傷することたびたびで,外科の処置を受けたことはしばしばあつた.しかし正式に手術を受けたことが三度ある.第一回は高等学校の入学試験の際,軽度の外痔瘻のあることを指摘され,入学までの一カ月余を利用して,日赤病院で入院手術を受けた.その時腰麻を施行され無痛だつたのに驚いた.しかし術後尿閉で二日あまり苦しめられた体験は,いまなお忘れられない.第二回は高等学校の生徒の時,野球で左肩胛骨の下に死球を受け,それが原因で次第に左手が上がらなくなり,当時の金沢医専の外科の外来に受診した.ちようど下平用彩先生の診察日だつたので,ポリクリに引張り出され,多勢の名医の卵に精査(?)されたが,病名不明のまま教授のところに送られ,プンクチオンによつて深部の筋炎と診定,翌日の臨床講義用の患者となつた,その時の手術は局麻だつたので,歯を喰いしばつて辛抱したが悲鳴を挙げたいほど痛かつた.第三回は大学の学生の時,医化学の実習中フラスコが破裂して,左示指に腱断裂を伴うほどの負傷をして,第一外科(三宅外科)の外来に運ばれ腱縫合を受けた.其の時は局麻だつたがあまり痛くなかった.今から考えると多分伝達麻痺だったらしい.
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