雑感
「迷いと勇気」—人間的,知性的であるために
金田 光雄
1
1館山病院
pp.385
発行日 1966年3月20日
Published Date 1966/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407203927
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迷いは人間的である。神には迷いはない.動物にも迷いはないであろう.ある行動を念頭し,これを実行する場合,われわれに,もし迷いがないとしたら,そのものは神であるか動物であるだろう.人間が知性的であるということは,半面人間に迷いがあるからともいえよう.迷いのない知性があるとは考えられないからである.迷いのない人間は独断家でもあろう.それは独断が知的でなく神的であり動物的だからである.私たちは人間である限り自由に迷えるともいえよう.「自由」は人間の特質であるからである.不確実なものに対してわれわれが迷うことは確実なものを求めるからである.その希求があればこそ確実に迷うのである.むしろ,たしかに迷うべきものこそ人間だともいえよう.不安な.ものに対する迷いは安定なものへの希求があるという前提が内在していることである.迷うことを知らないものは不幸である.迷うものは幸せである.迷いから人間の向上が期待されるからである.迷いは岐路に立つことでもある.岐路を認めることによつて迷いが生ずるのでもある.岐路のない行為は直線的で安易である.
盲目でも進める道路である.岐路の発見が人生である.
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