留学感
ドイツ留学で感じたこと
阪口 周吉
1
1慶応義塾大学医学部外科学教室
pp.792
発行日 1965年6月20日
Published Date 1965/6/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407203650
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私は昭和38年の初めから約1年10月余り,西独Wup-pertal市の市立病院でC.Reimers教授の指導の下にAssistentsarztとして勤務した.Wupperal市は人口約42万,Köln, Düsseldorfから程近く,市中を流れるWup-per川にかけられたモノレールの世界発祥地として有名である.病院は約900床,ドイツでもかなり大きい方であつた.Reimers教授は,骨折ことに大腿骨々折,腰痛および末梢循環疾患の権威であり,したがつてそれらの疾患が常に病床の1/3以上を占めていた.かねて私は末梢循環疾患について興味をもつていたので,彼の下で指導をうける機会を得たのである.したがつて私はいわゆるフンボルトその他の留学生として渡独したのではなく,まつたく普通一般の医師として勤務したものであつて,その意味では却つて留学生よりも直接ドイツ医学の末端に触れたと云えるかもしれない.外科300床に対して医員の定数は18名,それに数名のインターンであるが,病棟をもたないOberarztや麻酔医を含めての数字である上,常に多少の欠員があるので各人の責務は過重に近いものであつた.当初は1病棟30人,後には2病棟60人近い患者の管理を任ぜられたのには正直ネを上げそうであつた.
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