グラフ
温泉病院のリハビリティション—その1 厚生年金湯河原整形外科病院
浜田 昇次
,
伊藤 久次
pp.342-348
発行日 1964年3月20日
Published Date 1964/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407203283
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整形外科領域では,古くから後療法の重要さが強調されていたが,これも初めは手術やギプス除去後のマツサージや電気療法などの狭義の医学的後療法であつた.1906年ドイツで肢体不自由児の国内調査が行なわれ,多くの施設が建てられて社会政策へ発展し,1920年米国において後療法が職業補導と結びつく端緒が作られ,1943年第2次大戦中期より米国において,理学的療法・職能療法などの医学的リハビリティションから,職業相談・職業補導へと続く一連の体系が作られリハビリティションが急速に発達した.
日本で初めてリハビリティションなる語が用いられたのは1951年(昭和26年)頃である.厚生年金湯河原整形外科病院が創設されたのは,その5年前の1946年(昭和21年)であるから,設立の趣旨は米国流のリハビリティションの考えかでなく,ドイツ流のNa-chbehandlung, Bad-Kur, Krankengymnastikといつた考え方が基調となり,それに厚生年金被保険片の福祉施設という社会性を持つていた.その後米国流の新しい考え方が輸入されるにつれて,単なる温泉浴が,運動浴へ進み,単なるマッサージに機能回復訓練が加わり,さらに日常生活活動の訓練や職能訓練に発展した.
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