Japanese
English
症例
多発性骨髄腫の1例
A case of Multiple-Osteomyeloma
土橋 秀孝
1
,
向井 力
1
Hidetaka TSUCHIHASHI
1
,
Tsutomu MUKAI
1
1社会保険埼玉第一病院
1the first Saitama Hospital
pp.123-128
発行日 1956年2月20日
Published Date 1956/2/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407201771
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
緒言
多発性骨髄腫は1845年William,McIntyreが骨髄から原発せる腫瘍を始めて記載し,同年11月にBence-Jonesが動物の尿よりBence-Jones氏蛋白体なる物を発見し,本疾患にも之が出現を見る事を提唱した.その後1864年Virchowが骨髄系造血組織に原発する腫瘍のある事を認め,之を骨髄腫と命名した.然し之が病理解剖学的或は血液学的本態の把握に混頓としていたが,その後1873年Rustitzkyが本疾患の一例を報告し,且Dalrympleが病理組織学的に初めて記載し,次いで1889年Kahlerが此の種疾患を8年に亘り臨床的病理学的に観察し,其の詳細な報告を行つて此処に多発性骨髄腫の存在を確立するに至つた.為に本患疾は一名又Kahler氏病とも云われている.欧米の文献に依れば現在迄に425例を数え,本邦に於ては約65例余を数えるのみで比較的稀な疾患に属するものであるが,我々も亦外傷に依る骨折及び神経痛として誤診しX線所見,血液像及び死後肋骨標本切除に依り始めて多発性骨髄腫と判明せる高年男子の一例を経験したので茲に報告する共と,文献的考察をなし諸賢の御批判御指導を仰ぐ次第である.
Copyright © 1956, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.