--------------------
あとがき
桑野 博行
pp.1200
発行日 2010年8月20日
Published Date 2010/8/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407103171
- フリーアクセス
- 文献概要
- 1ページ目
昨今,「無駄をなくせ」の大合唱で,コスト・パフォーマンス(費用対効果)の名のもとに学問の分野にも厳しい評価の目が向けられている.そして「すぐに役立つこと」「利益を誘導する研究」には高い評価が得られる傾向が顕著になってきている.当然そのような研究や学問はわれわれに多くの「目に見える」恩恵をもたらすことは事実であり,そのこと自体に異論はない.しかし,「すぐに役立つ」研究以外は無駄な学問であろうか? 学問の本質は,そこにある「真理を追求すること」であり,本来,有益か無駄かという尺度とは別の次元のものであろう.医学研究はそのような意味では,比較的「役に立つ」ように見えるものが多く含まれているとは思われるが,人文学,社会学など文化系の学問や,医学以外の理科系の学問には「目に見えて」役に立つのか否かわからないものも多い.しかし,そこにはむしろ更に深淵な学問の奥行きを感じることもまた事実である.
そこで学問や研究において「無駄」とは何かを考えてみた.われわれ医学の研究においても,物を大切にして,実験道具でも動物でも,また検体や様々なデータでも慈しむような気持ちで心を込めて研究に打ち込むことは肝要であり,そのような意味においての無駄をなくすことは大切であるが,このことと研究自体が「無駄であるか」とか「役に立つか否か」という問題は全く別の観点であろう.
Copyright © 2010, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.