連載企画「外科学温故知新」によせて・20
乳腺外科
佐藤 裕
1
Hiroshi SATO
1
1誠心会井上病院外科
pp.967-971
発行日 2008年7月20日
Published Date 2008/7/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407102197
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1.「腋窩リンパ節郭清」の必要性の認識
のっけから胸をはだけた女性が今まさに右乳房を切断されようとしている図を掲げたが(図1),これは,ローマ時代にキリスト教を信仰していたアガータという女性が,彼女に横恋慕し棄教を迫ったシチリア総督から乳房を切り取る拷問を受けている場面を描いたものである〔このことから,のちにアガータは「乳房(乳癌患者)」の守護聖人に列せられた〕.まず最初にこの図を提示したのは,近代まで乳癌に対する外科治療がこれと同じような方法で行われていたからである.たとえば,17世紀のスクルテタス(Johannes Scultetus:1595~1645年)や18世紀のハイステル(Lorenz Heister:1683~1758年)の外科学書に載っている乳房切断手術は,それらとあまり差のない方法であった(図2).
そのような時代に「乳癌はリンパを介して蔓延していくので,腋の下のリンパ節を摘出すべきである」と唱えたのがフランスのラ・ドゥラン(Henri Francois Le Dran:1685~1770年:図3)である.実際は,「癌はリンパ液の自然凝固(腐敗ないし変性)によって生じ,リンパ系を介して拡がっていく」と唱えたようである.しかしながら,時代的に麻酔法や感染制御が導入される以前であったため,この指摘がただちに乳癌の外科治療に取り入れられたわけではなく,図2で示したように,癌に侵された乳房を患者に痛みを感じさせないように一気に切除するようなことが行われていたのである.
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