胃癌外科におけるリンパ節郭清の始まりとその展開・14
1930年前後―三宅の『胃癌』その後とリンパ流の再検討
高橋 孝
1
Takashi TAKAHASHI
1
1たむら記念病院外科
pp.521-530
発行日 2007年4月20日
Published Date 2007/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407101209
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【三宅の『胃癌』その後】
1898年に始まったMikuliczの郭清体系が,その後欧米では大いに広まりをみせたことは前々回述べました.わが国でも三宅速のドイツ留学を契機としてそれが継承されたことは前回解説したとおりであります.しかし,Mikuliczの郭清体系を乗り越えるという意味でのリンパ節郭清の展開は,欧米でも日本でも1940年代に入ってからやっとその胎動をみることができるのです.これまでのMikuliczの郭清体系を超えていくためには,その道標となるべき理論,リンパ流研究が欠落していたからであります.未知の大海へ乗り出して行くための羅針盤がなかったのです.
1930年を挟んで胃のみならず直腸のリンパ流への関心が高まりをみせ,それぞれの臓器のリンパ流研究では大きな成果が上がりました.直腸のリンパ流ではVillemin(1925年),仙波(1927年)の研究がGerotaの直腸リンパ流研究を超え,はるかに臨床に有効な成果をもたらしたことはすでに述べました(本連載第11回).胃リンパ流ではRouvière(1932年),松本(1933年),井上(1936年)の研究がPoirier,Pólya,Navratilの成果を凌駕し,より臨床的な知見をもたらしました.
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