連載企画「外科学温故知新」によせて・3
Antisepsis(防腐法)からAsepsis(滅菌,無菌)へ
佐藤 裕
1,2
Hiroshi SATOU
1,2
1北九州市立若松病院外科
2日本医史学会
pp.955-958
発行日 2006年7月20日
Published Date 2006/7/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407100933
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
医学の面では暗黒時代と言われる中世の理髪外科医が四肢切断手術を行っている様子を描いた絵画を見ても,感染予防策が講じられていた形跡はまったく見あたらない(口絵).もっとも,感染を引き起こすのが細菌という目に見えない微小な生命体であるということがわかっていない時代だったので,当然と言えば当然である.これは近世になっても同様で,開腹手術の嚆矢とされる1809年のMcDowellによる卵巣囊腫の摘出手術や,1846年のボストンでのエーテル麻酔下の公開手術の模様を描いた絵画でも,さらにPeanの公開手術の場面を描いた絵画においても,感染に対する方策が講じられた様子は窺えないのである.
一方,西洋に「War is the chief training school for surgeons」という言葉があるように,良きにつけ悪しきにつけ外科学が戦争とともに発展する,言い換えれば,戦争が外科学の発展を後押しするという一面があるのも否めない事実である.たとえば,近代外科学の父とも称されるParéは戦傷治療に際して,新機軸の冷膏治療や四肢切断時の血管結紮などを,創管理法や止血法として導入したわけであるが,Paréが戦傷治療を刷新しようと努力していた16世紀頃は,多くの軍陣外科医たちはワインやヴィネガー,バラ油やテルピン油などを受傷に引き続いて起こる致死的な敗血症を阻止すべく,消毒・防腐を兼ねた創の保護・被覆材(wound dressing)として使用していた.

Copyright © 2006, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.