学会印象記
第1回日独合同脳神経外科学会の顛末
松本 圭蔵
1,2
1日本脳神経外科学会
2徳島大学
pp.864-865
発行日 1994年9月1日
Published Date 1994/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406900685
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1992年10月鹿児島市で開催された第51回日本脳神経外科学会総会(朝倉哲彦会長)に来日したRudolf Fahlbusch教授(Univ.of Erlangen)から1994年5月,第45回ドイツ脳神経外科学会総会をNürnbergで開催するので,それに連結して日独合同脳神経外科学会を開催したいと高倉公朋教授(日本脳神経外科学会庶務会計幹事)に提案があった。そこで,早速鹿児島でこの件につき彼と話し合い,日本からの参加者は50名位とし,役員,座長は日独平等に分ける,open—ing addressとして日本側とドイツ側からそれぞれ1名を選び,医学あるいは脳神経外科の日独交流の歴史について講演をお願いする,いくつかの主題をきめた学会にする,英語を公用語とする,などを打ち合わせた。主題と予定発表者については,FAXで連絡をとり,さらに,昨年10月Acapulcoの国際会議で彼と会った時,応募演題〆切日など具体的な打ち合わせを行った。
学会は,NürnbergのGermanisches National—museumの中の新築された会場で,ドイツ脳神経外科学会総会に先行して,5月20日(金),21日(土)の2日間行われた。
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