時評
ヒドラジツド顛末記
豐川 行平
pp.28
発行日 1952年12月15日
Published Date 1952/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201144
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新藥出現には必らず一騒動持ちあがるもので,何等異すとるに足りないが,こんどのヒドラジツド騒動だけはいささか桁外れだつた。
そもそもこのヒドラジツド狂躁曲が奏でられたのはニユーヨーク市衞生局擔當記者が,秘密裏に結核新藥の臨床實驗が行われているのに感ずき,その發表を強要した時に始まるのである。それと同時に毎日新聞特派員某氏がその事實を嗅ぎだし,臨床實驗の行われているシー・ヴユー病院に乘りこみ嚴重な警戒網をくぐりその病院にいた1日本人留學生をおびき出し,あの手この手で聞き出した記事を本社に打電した。他社に利用されることを恐れた特派員は留學生を罐詰にしていたことは想像に難くない。その記事は毎日新聞の特種として本年2月24日の朝刊の三面に大々的に掲載され,讀者の耳目をそばだたせた。この結核新藥は全く驚異的效果を有するから,これで結核病院も不要となろうといつた内容だから,藁をもつかまえたいという結核患者が騒ぐのは無理はなかつた。なかには眉唾と考えた者もいたが,續いて各新聞がわれ劣らずにこの新藥を取り上げるに至つたので,患者の期待はいやが上にも刺戟されたわけで,手術豫定の者はそれを拒否するといつた騒ぎになつた。
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