連載 症候学メモ・47
余滴(4)—病院文化(つづき)
平山 惠造
1
1千葉大学神経内科
pp.1179
発行日 1988年12月1日
Published Date 1988/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406206226
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◆病院文化には彼我でまだまだ相違がある。日本では,医療に関しては患者よりは医者が偉いのである。実権は医師,看護婦が持っており,どうしても対等とはいかない。視点を変えれば,本来,医療の実権は患者にあるとみることができるのだが,日本ではそれがとても難しい。パリでは,自分の体については自分が実権をもっているのであり,病気を治すために医師や看護婦は手助けをしてくれるものであって,彼らがそれを管理しているのではないと,患者は考える。あまり好きな表現ではないが,患者は検査,治療の権利を自分が保有していると考えている。
◆このような背景と照らし合わせて極めて面白いと思うのは,健康保険の本人給付の額である。ここ二,三年になって,日本でもやっと,本人への給付は九割に抑えられ,自己負担が一割となったが,それまでは十割給付であった。私がパリにいた頃,フランスでは三割の自己負担であった。これは如何にも日本では患者が厚遇されているようにみえるが,現実にはこれによって患者の医療は保険によってがんじがらめになっているとみるべきである。それだけ十分に給付されれば,あまり文句もいえないが,もし,本人が三割の自己負担をしているなら,医療に対してもっと真剣にならざるを得ない。これは恰度,会社の金で人におごるときはずざんに払う人も,自分の金で人におごるときには効果的な真剣な使い方を考えるのと同じである。
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