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この7月より本誌とは別に「脳神経外科」が発刊されることになった。従来本誌は脳神経外科学会のいわば機関誌として存在し,投稿原稿のかなりの数は脳神経外科領域に由来してきた。このたびの新誌の出現によつて,その方面の原稿の大部分は必然的にそちらに送られることになろう。反面,本誌むけの投稿は相当に減ることが予想されるが,文字通り「脳と神経」の名のごとく,医学,生物学はもとよりエレクトロニクスをもふくむ神経諸科学のあらゆる分野からのすぐれた研究成果の発表の場として生れかわれたらと思う。とはいえにわかに何もかもかわるというわけではなくすでに受付ずみの原稿は引きつづき掲載され,それが済んでから少しづつ変貌することになるだろう。その意味で第26巻からの本誌の新たな出発に期待したい。
本年はカミロ・ゴルジが今日彼の名を冠するすぐれた方法を記載してから丁度100年目にあたる。すなわち1873年彼がGazzetta medica italiana誌上に"Sullasostanza grigia del cervello"と題して発表した論文の最初の行に"colorazione nera"(black coloration)の字が見える。これが神経学を前ゴルジ期と後ゴルジ期に分つことになつた歴史的発表である。彼が30歳の時であつた。彼はパヴィアの大学で病理学を専攻したかつたのであるが,医学部を出てからも論文を出すのに金をもらいに来る息子に業を煮やした父親に押しつけられて,心ならずも大学を去り,北イタリーのアビアテグラッソの病院助手に就職した。向学心やみがたく自宅の台所にしつらえた研究室で細々と研究しているうちに,このすばらしい方法を見出したのである。彼は蠟燭の光のもとで顕微鏡をのぞいていたというが,最初に成功した鍍銀像を見たとき,どう反応したであろうか。その時のことについては彼は殆んど何も書きのこしていないらしい。興奮を押しかくすためであろうか,よろこびを一人じめにしたかったためだろうか,あるいはきわめて冷静だつたためなのか。所詮これらは外野席ないしはやじ馬としての興味をみたす言にすぎない。ともあれその瞬間よりはや一世紀は厳然と経過したのである。
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