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ワイシス博士(Henry T.Wycis)を悼む—定位脳手術の創始者の一周忌に当って
岩田 吉一
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1国立大阪病院脳神経外科
pp.762-771
発行日 1973年6月1日
Published Date 1973/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406203340
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昨年度のJournal of Neurosurgery38巻3号で報道されたごとく,定位脳手術のパイオニア,Henry Tele—sfore Wycis博士は1972年6月30日,肝性昏睡のため61歳で米国PhiladelphiaのSt.Luke's and Children'sMedical Centerでその生涯の幕を閉じられた。
ワイシス博士は1969年秋Temple大学を勇退したのちもその生涯のlife-workである定位脳手術への志やまず,St.Luke's and Children's Medical Centerに新しくCerebral Stereotaxic Instituteを開設し,その道に志す若きレジデントを全世界に公募した。1970年12月私は恩師陣内伝之助先生の御推せんを得てこの第1期生として渡米する機会に恵まれた。新設の意気にもえた研究室,医局,手術室等の準備期間を経て,ようやく実動の機が熟したと思われた矢先の1972年6月初め,ワイシス博士に黄疸が発症し,1カ月足らずの闘病生活ののち遂に不帰の人となつてしまわれた。医学史上に残るワイシス博士の業績と人となりに接し,このステレオの真髄を会得せんと志した日本人の私が,はからずも博士の臨終に立ち合うという運命に遭遇して全く意気消沈し途方にくれた。しかしながら彼のオフィスでワイシス夫人らとともに山積した文献類を整理しながら彼の輝やかしい過去のなまの歴史の諸断片に直接接する機会を得た時,これらの資料をもとにして偉大であつた博士に哀悼の意を表するためにもその歴史と業績を展望する小文をまとめることは意義あることと思つた。
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