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この4月にオランダ(正確な国名はNederland,オランダすなわちHollandはアムステルダムやライデンを中心とした州の名前である)のライデン(レイデン,Leiden,またはLeyden)を訪れた。ライデン大学の脳神経外科の教授で,World Federation of Neurosurgical SocietiesのSecretary for Federation AffairsであるLuyendijk教授と会つて国際学会の準備をするためである。ライデン大学はおもしろい歴史をもつている。オランダの独立戦争のときアルバ公にひきいられたスペイン軍が1574年この市を包囲した。市民はこの包囲に耐えてよくがんばり,ついに堤防を切つて市の周囲を水びたしとしてスペイン軍を敗走させたという。毎年この日すなわち10月3日を記念して祝うそうである。オランダ軍の司令官オレンジ公ウィリアム(オラニエ公ヴィレム)が市民にほうびとしてなにを与えようかと問うたところ,大学が欲しいというので,1575年(日本では長篠の戦いのあつた年)大学が作られたのだそうである。この市も大学も日本に関係が深い。わが国の医学に大きな影響を及ぼしたWillem ten Rhijne (1674年来朝)も,EngelbertKämpfer (独人,1690年来朝)もこの大学に学んだ人々であり,有名なFranz von Siebold (独人,1823年来朝)も日本を去つてからライデンに住み,Nippon, Fauna Japonica, Flora Japonicaを書いたのである。これらの著作はLeiden大学の図書館にある。図書館といえば,ここには1813年三谷樸あらわすところの解体発蒙や緒方洪庵の扶氏経験遺訓など多数の和書がそなえてある。東洋関係の文書は全部で3,500点もあるという。オランダ人の学問好きの性格を示していると思う。1日ネイメーヘン(Nijmegen)で行なわれた脳神経外科研究会に出席したところ温顔の老人に会つた。内耳道撮影で有名なStenversであつた。この人は神経内科医であるが,大学とは関係なく開業している。開業していても好学心さえあれば立派な仕事ができるのだと感心した。ライデン大学医学部の誇りはHermann Boerhaave(1668-1738)でその像は大学病院の前に毅然と立つている。かれは18世紀初頭のヨーロッパ第1の医師であり,臨床講義というものを始めた人である。その墓(聖ピーター寺院にある)にはつぎの銘が刻んである。Simplex Sigillum Veri (真理の徴は単純である)
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