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あとがき
佐野 圭司
1
1東大
pp.431
発行日 1979年4月1日
Published Date 1979/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406204405
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- 文献概要
このあとがきを書いているのは3月4日であるが,丁度,明和8年(1771年)の同じ日(太陽暦では4月18日に当るが)は,杉田玄白,中川渟庵,前野良沢が千住の骨が原(小塚原)の刑場で「腑分け」を見て,たまたま玄白と良沢がたずさえていたオランダ語の解剖書の図の正確さに深い感動をおぼえたと伝えられる記念すべき日である。記念すべきというのは,この日,刑場から江戸市内へかえる途中,かれらは相談して,そのオランダ語の本を日本語に訳そうと決心し,その翌日に早速とりかかつたからである。すなわち「蘭学事始」である。かれらの努力の結晶が安永3年(1774年)に出版された「解体新書」であることはいうまでもない。そしてこの年がわが国の西洋医学の紀元元年と称せられているのも当を得ているであろう。おもしろいことにこの同じ年にドイツではGoetheの「若きWertherのなやみ」が出版され,Goetheを一躍,文壇の寵児とするとともに,ドイツ文学を欧州の「いなか」の文学から世界文学に伍せしめているのである。
解体新書の原本となつたのはアムステルダムのJans—soons van Waesberge により初版が1734年発行されたOntleedkundige Tafelen (いわゆるターヘル・アナトミア—この語はオランダ語でもラテン語でもない。
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