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症例呈示
司会(神経内科 川田) 今日は臨床的に多系統萎縮症(MSA)と診断された症例を取り上げます。それでは早速,主治医の山岡先生,症例の呈示をお願いします。
主治医(神経内科 山岡) 症例は死亡時65歳の女性です。65歳で急性胆囊炎に罹患した既往があります。家族歴には特記すべきことはありません。現病歴ですが,1995年2月,つまずき易さで発症し,5月,左手の振戦,7月,呂律不良と立ちくらみ,8月,歩行時のふらつきが出現したため,当科外来を受診されました。同年9月,第1回入院し,左優位のparkinsonism,小脳失調,深部腱反射亢進,頭部MRI所見(橋横走線維の変性,小脳脳幹の萎縮,右優位の被殻の萎縮)から,MSAと診断されました。TRH(甲状腺刺激ホルモン)は無効でした。翌1996年,家事が困難となり,8月第2回の入院となりました。排尿検査でdetrusor-(external)sphincter dyssynergia(DSD)陽性,無抑制膀胱と診断されました。抗Parkinson病薬は無効で,杖歩行で退院されました。1998年,無動,構音障害,排尿障害などの悪化と夜間のいびきで同年4月第3回目の入院をされました。咽頭鏡(diazepam負荷なし)で声帯麻痺はみられませんでした。この時は車椅子を使用していました。
2000年,嚥下障害が進行し,1月,第4回入院。経管栄養が開始されました。この後,膀胱カテーテルが留置されました。唾液や痰の吸引が頻繁になり,同年9月,第5回入院時に喉頭気管分離/食道喉頭吻合術を施行し,これによってミキサー食の経口摂取が可能となりました。術後の安静臥床によって両下肢は著明な屈曲拘縮となりました。また,覚醒時にも声門狭窄がみられました。2002年5月,発熱のため第6回入院。低Na血症(119mEq/l)が判明し加療しました。
2003年,夜間の無呼吸と嚥下障害が増強したため6月入院。その時,仮面様顔貌,顔脂,強迫泣きがありました。ごく単純な内容に限って,時に表情が変わることがありましたが,実質的な意思疎通は困難でした。呼吸は浅く,数秒の無呼吸が頻繁に出現するため,酸素0.5l/分を使用し,動脈血酸素飽和度95%前後に保ちました。酸素を中止すると酸素飽和度90%以上を維持できない状況でした。無動が強く,笑い顔になる時以外の自発的な運動は消失していました。首は後屈,両上肢は屈曲拘縮,両下肢は伸展位でした。上肢はcog-wheel rigidity,下肢と頸部はrigidospasticでした。Rhythmic myoclonus(静止時<姿勢時,上肢優位かつ左優位)が認められました。Jaw jerkは陽性,snout reflexも陽性でした。四肢深部腱反射は亢進していましたが,palmomental,Hoffmann,Babinskiの各反射は陰性,強制把握は両側陽性でした。喉頭気管分離/食道喉頭吻合術後状態で,経管栄養を行いました。6月12日,経皮的内視鏡的胃瘻造設術を行いました。その後,急性胆囊炎を併発したためSBT/CPZで加療し治癒しました。7月16日退院となりました(退院時Na 131mEq/l,経管食に食塩3g/日を添加)。
しかし,2003年7月28日から37℃台の発熱が出現し,無呼吸が増加しました。同月31日,突然酸素飽和度が60%に低下したため,酸素投与下で補助呼吸を施行しつつ府中病院に救急搬送されました。診察中,全身痙攣が出現し,diazepam静注施行後,当院ICUに第7回目の入院となりました。
入院時は呼吸停止状態でした。その後も左向き共同偏視を伴う右優位の全身痙攣が2回あり,除皮質硬直様肢位をとっていました。その後,微弱な自発呼吸と無呼吸を繰り返していましたが,17時頃から補助呼吸は不要となりました。低Na血症(115 mEq/l)による全身痙攣と考え,乳酸リンゲル液1,000ml/日とdiazepam座薬を使用して様子を見ましたところ,呼吸状態がさらに回復し安定したため,9月22日退院となりました。
その後,発熱などのトラブルはありませんでしたが,2003年10月28日から無呼吸が増え,11月3日夜から呼吸が粗く不規則になり,11月5日午後から酸素飽和度が徐々に低下しました。家庭医が補助呼吸すると容易に酸素飽和度は正常化しましたが,翌日早朝から再び酸素飽和度が低下しまして,同日午前7時5分,家庭医により死亡が確認され,当院にて病理解剖が行われました。全経過約8年9カ月でした。
司会 続いて画像を説明していただけますか。
主治医 1995年の99mTc-ECD SPECTですが,すでに中心溝領域に左優位に血流の低下の所見があります。1996年9月,発症1年7カ月のMRI所見です。これは1995年の所見と同じですが,既にT2強調画像で橋横走線維の変性,十字サインが認められています。それから,T2強調画像で両側被殻後方外側域の低信号と右側ではその外側に線状の高信号域がみられます。少し中心前回の信号強度が上がっているようにもみられますが,明確な萎縮はありません。被殻の変化は冠状断でより明確に認められています。次が1998年,発症3年目の所見です。小脳,脳幹の萎縮は進行し,十字サインや両側被殻の萎縮もより明確になっています。T2強調画像で中心溝の開大がはっきり認められます(図1A)。実質の信号強度の変化についてはequivocalと思われます。前頭葉の萎縮についてははっきりしませんが,側頭葉は若干萎縮傾向があると思います。T2強調画像の矢状断では脳幹全体の萎縮は認められますが,中脳被蓋の萎縮はないと思います。次は2000年,発症5年目のMRIでは,小脳脳幹の萎縮はより進行しています。被殻はかなり萎縮していて,側頭葉の萎縮もはっきりしてきています。中心溝も開大しています(図1B)。矢状断では脳幹の萎縮がより進行していますが,中脳被蓋の萎縮はとれるかとれないかというところです。2002年,発症から7年目のMRIでは,より一層小脳脳幹の萎縮が進み,大脳の萎縮も進行して脳室が拡大してきています。被殻は線状になっています。大脳の萎縮は側頭葉優位,前頭葉は軽度で,中心溝は開大しています。中脳被蓋の萎縮ははっきりしません。同時期の2002年の99mTc-ECD SPECTでは,中心溝領域の脳血流低下域が前頭葉方向に広がってきていると思われます。そして2003年,8年目のMRIでは,先ほどからお示ししている所見がより高度となっております(図1C)。以上です。
司会 ありがとうございました。以上が臨床経過と主な検査結果で,だいたい全ての臨床を呈示していただいたと思います。
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