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一時期,「右脳思考」という言葉がはやったが,今でもそのような言葉が使われることは稀ではない。個人のレベルでも,社会のレベルでも,思考が行き詰まってしまった時には,発想の転換が必要になる。そんな時に突然,思いもかけなかったすばらしいアイディアが浮かび出てくると,どういうわけだかそれは「右脳思考」であるとされることが多い。一般社会の「科学的」常識では,論理的,演繹的な思考に対する直観的な水平思考は右半球の働きであると信じられているようだ。一方,「脳の右側で描け(Drawing on the Right Side of the Brain)」という有名な本を著したBetty Edwardsの絵画教育は,造形芸術の実現が右半球の所産であるという信念に基づいている。しかし,彼女の提唱する描画の学習法は極めて分析的,かつ論理的であり,決して直感に頼った感覚的描画法を教えてはいない。したがって,彼女の提唱する描画教育の結果,ヒトは本当に右脳で描くようになるのかどうか,それははなはだ疑問である。これらの考え方は,様々な局面において困難に立ち向かった場合,新しい発想法により自らの能力を飛躍的に高め,その困難を一挙に解決したいとの願いを実現してくれる「右脳信仰」の表れなのである。
ヒトの精神活動の基盤となっている様々な知的機能を,左右の半球に各々分担させて考えることを,二分法(dichotomy)理論という。失語症の病変はほとんどが左半球にあるため,ヒトの言語機能は左半球に偏在しているであろうと考えられたことに対し,それでは右半球は何をしているのだ,という問題が浮かび上がってくる。これに答えるために様々な臨床的事実や実験結果が蒐集された結果,左半球と右半球には,それぞれ反対側の半球は持っていない得意な能力があり,ヒトの知的活動は右と左の半球が分担して実現されているという考え方が一般的に信じられるようになった。その結果,ヒトの知的機能の大部分が,右半球か左半球かの特異的な能力に由来すると考えられるまでに至っている。これが二分法理論であり,これによって生まれてきたのが,右半球能力の重要性を極端に強調する「右脳信仰」なのである。
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