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■はじめに
震災後4か月経った。震災の日々は遠い灰色の彼方のようでもあり,昨日のことのようでもある。晴天が続いた当時と反対に,今は雨が被災地のテント生活者を脅かし,仮設住宅の鉄板屋根にやかましい。
最後の来援精神科医は県立精神保健センターのコーディネーター室にコーディネーターの補佐として勤務してくださった東北大学と,夜間往診隊への東京都の方々で,4月末,雨の中をひっそりと帰ってゆかれた。兵庫県は,4月27日をもって,非常事態を終結するということを伝えてきた。それまでの多少の法規逸脱は大目に見るが,この日を限りにちゃんとやってもらいましょうという意味のようであった。様々なボランティアがなお現地で働いているが,戦争終了後,英雄からゲリラに価値転換されてしまった抵抗運動の勇士を多少思わせるような位置に変わった。
他方「こころのケア・センター」の設置が突然身の上に降りかかってきた。突然,センターの責任者に指名された私は,敗戦後,軍が解散した後,瀬戸内海の機雷原の掃海を命じられた旧海軍々人のような気になった。これがボランティア精神科医の仕事をどれだけ継続してゆけるであろうか。年間3億円の予算は国が精神科関係事業に支出したものとしては巨額であり,そのこと自体が画期的といわれるのであるが,3か月間に神戸を埋めた来援精神科医が私弁された費用は数千万に上り,さらに労働を人件費に換算すると数億ではきかないのではないだろうか。そして私たちはその後に来るであろうものに対する予防精神医学を行ったのではなかった。もし「こころのケア・センター」が従来の記録とは違った経過を記録するとすれば,それは第1に来援精神科医の賜物であるはずである。
さらに,全国の精神科医たちが,同じ目的のために,同じ場所で,同じ釜の飯を食って働いたという,これまでになかった事態,願って得られるものではない経験は,数年,数十年にわたって,ある効果をこの列島注)の精神医学,精神医療に残すのではないだろうか。
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