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■はじめに
年をとった精神科医はだれでも忘れ難い患者を持つものである。それらの人々に接して受けた深い印象は長く残り,その経験はどのような本にも増して,病気や患者に対する見方や考え方に影響を及ぼす。ここに報告する11人の症例はそのような人々であって,半世紀に近い以前に,B,C級戦争犯罪容疑でスガモ・プリズンに収容されていた間に精神障害を発して,都立松沢病院に転送された患者たちである。スガモ・プリズン11)とは,第二次世界大戦終了後に,占領軍によって東京池袋の旧東京拘置所が接収されて,戦犯容疑者の収容に当てられていた当時の呼び名である。ポツダム宣言10条に戦争犯罪人の処罰の項目があり,それに基づいて,B級戦犯とは戦勝国の俘虜や市民の殺害や虐待行為の責任者,C級戦犯とはそれらの犯罪を実際に行った者とされ,両者は合せてB,C級戦犯者と呼ばれるようになっていた。戦争責任についてのA級戦犯容疑者の1人である大川周明も松沢病院に入院し治療を受けたので,補遺としてこの報告の一覧表につけ足してある。
敗戦直後の混乱期に,言語や文化を異にする米軍の支配下で行われた戦犯裁判は特殊な拘禁状況を作り出し,そこにみられた拘禁性精神病には特に新しい病像がみられたわけではないにしても,集団として共通の特殊状況に置かれた人間の反応の在り方について,教えるところがあるであろう。症例はスガモ・プリズンでみられた精神障害のすべてを含むものではないが,刑務所での収容と裁判を困難にするような重症例は,精神鑑定の意味を兼ねて,米軍の361兵站病院(墨田区両国の同愛病院を接収)を経て,占領軍総司令部(GHQ)の命令により,終戦連絡中央事務局を通じて都立松沢病院に送られることになっていた。このような事情から,ここには一応の代表例が集められていると考えてもよいであろう。この11人中の8人は横浜の第8軍軍事裁判被告で,総数1,037人のうちの0.7%を占める。
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