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(第65巻12号より続く)
私は2人の同僚とともに,私が強調しようとしている希少な特徴をよく表している事例を観察した。20歳の若い女性で,彼女は歌の練習をしたのに引き続いて,喉頭の痙攣性か何かの苦しみに襲われた。それが痛みと呼ぶにふさわしいかどうかはともかくとして,それは不明瞭で,説明が難しく,しかし大いに不愉快な感覚であった。患者はまず歌うのをやめてしまい,頑なに,もう二度と歌ってみようとしなくなった。前々から彼女は,歌うことは自分の能力を超えていると明言していたのである。新たに努力することを求められなければ,彼女は休むことしか望まない。治るならばどれほどよいかと言うことさえある。しかしそれは,彼女に誰も新たな努力を求めない時に限られている。最も合理的な治療も効果を上げぬまま,この不調は1年近く続いた。
中等度の痛みを伴う同様の現象が,もはや歌っている時ではなく,ただ話をするということだけでも繰り返されるようになった。それは同じく漠然としていて,やはりやる気をそぐものだった。患者は完全な緘黙に陥り,一言でも発するよりはメモ帳に書くほうを好むようになった。こうして彼女は自発的な隔離生活に閉じこもり,家族や世間との関係を一切遮断した。彼女は,自分の考えの中から,自分にはこの状況は耐えられそうにないと書き,薬を拒否することは全くなかったが,しかし周囲から絶えず急かされても,話すことを決心することはできなかった。彼女が尻込みする困難の理由を執拗に尋ねられると,彼女はこう答えた。「苦痛が大きいわけでは全然なかったけれど,それに立ち向かう力があると思えないのです」。極めつけのもったいぶった調子で,彼女がほんの少しばかり言葉を話したことがあるが,その声ははっきりとよく響き,そこに何の障害も認められなかった。喉頭を注意深く検査したが,何の異常もなかった。
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