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横浜市立大学名誉教授の小阪憲司先生が,2023年3月16日に逝去されました。小阪先生は「レビー小体型認知症」(dementia with Lewy bodies:DLB)の発見者である著名な研究者であり,日本が世界に誇る老年精神医学者であり神経病理学者です。先生は,1965年に金沢大学医学部をご卒業になり,名古屋大学医学部精神医学教室に入局されました。その後,1975年に東京都精神医学総合研究所副参事研究員となり,精神科臨床を都立松沢病院で行い,老年精神医学と神経病理学の道を深めていかれました。1977年にドイツ・マックスプランク精神医学研究所特別研究員,1985年に東京都精神医学総合研究所神経病理研究室主任となりました。この間,当時はまだ知られていなかったDLBの剖検例を初めて報告して以来,多数の剖検例の報告を行い,臨床所見とレビー小体の病変分布から,現在のDLBとパーキンソン病(Parkinson's disease:PD)を含むレビー小体病(Lewy body disease:LBD)の臨床病理学的疾患概念を確立しました。新たな疾患単位の確立には,優れた臨床家と病理学者であること,さらに緻密な観察眼と大胆な構想力が求められ,先生はまさにこれらを併せ持つ研究者でした。また,「石灰沈着を伴うびまん性神経原線維変化病」も先生が初めて報告し,命名した認知症疾患です。私も新潟大学脳研究所で神経病理学を学んでいた関係で,小阪先生のお名前は存じていましたが,直接お会いしたのは私が横浜市立大学医学部精神医学教室に在籍していたときでした。認知症の剖検例を見せていただくために東京都精神医学総合研究所神経病理研究室に伺い,先生から認知症の臨床神経病理学の面白さ,ご自分の提唱された当時の「びまん性レビー小体病」(diffuse Lewy body disease:DLBD)のお話を伺っておりました。
その後,1991年に先生は横浜市立大学医学部精神医学教室の教授となり,私は講師から助教授として12年間,ご一緒に仕事をさせていただき,親しくご指導いただきました。先生は学問に関しては厳しい方でしたが,実にフランクでなんでも相談できる方でした。老年精神医学の臨床では,横浜市立大学に認知症疾患治療研究センターを作られ,認知症専門外来を発展させ,横浜市福祉局との疫学研究なども行いました。神経病理学の研究では,毎週開かれる剖検例の病理カンファレンスには,自ら参加されてご指導いただきました。当時は,まだDLBの疾患概念は世界に共通のものとはなっておらず,レビー小体をもつ剖検例がいくつもの異なる名称で報告され,混沌とした時代でした。当然,DLBの頻度なども分かっておらず,現在,「アルツハイマー型認知症」に次ぐ第二の認知症疾患になるとは想像しておりませんでした。このため,当初は私たちも剖検例の臨床病理学的研究を引き続いて行っておりましたが,その後,1997年に,DLBおよびPDの原因蛋白がαシヌクレインであることが明らかとなり,私たちの神経病理研究はαシヌクレインを用いた免疫組織化学,免疫電子顕微鏡を用いた病態機序の解明を目指した研究に移ってまいりました。1995年,DLBの第1回国際ワークショップ(International Workshop on DLB and PDD)が開催され,DLBの概念が国際的に共通のものとなり,現在につながるDLBの臨床病理診断基準が作成されました。先生はその中心的役割を果たし,その後のワークショップでも常に新しい研究成果を発表されてこられました。
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