追悼文
荒木千里先生を偲んで
半田 肇
1
1京都大学脳神経外科
pp.912-914
発行日 1976年9月10日
Published Date 1976/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436200515
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荒木千里先生が逝かれてから1カ月が過ぎた.明るい陽ざしを通して,研究室の私の部屋から,先生が入院しておられた部屋は,いつも向いあって見えた,あの日は,夏にしては,珍しく薄曇りの静かな朝で,先生が40年間過された思い出多い外科北病舎跡に建てられた脳神経外科病棟の一室で,7月2日,朝9時5分,先生の呼吸は停止した.先生の死という厳然たる現実を迎えた時,もはやどうすることもできない無力感と,働哭の中で,私は一人の王者の終焉を思った.──「明治34年5月18日,九州熊本県鹿本郡来民町で,荒木竹次郎氏(中学校長)の次男として生れ,5歳の時父を亡くし,火傷,左下腿急性化膿性筋炎,虫垂炎,白内障など,病弱で不遇な幼少年時代を過した小柄な青年が,大正15年京大医学部を卒業後,鳥潟門下に入局し,その後アメリカ合衆国に留学,シカゴ大学でパーシバル・ベーレイ教授の許で学び,生来の稀有な頭脳と豊かな資質をもって,わが国脳神経外科の礎をきついた.そして今,数多くの業績と,濃縮された数々の思い出をそれぞれの人の心に残し,その75年の生涯を閉じた」という万感の思いが,烈しく奏でる葬送の嵐の中でこみあげてくるのを制止することはできなかった.
私が先生の講義をはじめて聞いたのは,大学3回生の外科臨床講義の時であった.その講義は,従来の学説にとらわれることなく,実に簡明で,論理的でジョークを混えながら進められた.
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