追悼
熊倉賢二先生を偲ぶ
丸山 雅一
1
1早期胃癌検診協会
pp.1218
発行日 2006年7月25日
Published Date 2006/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403100635
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仕事を兼ねて訪ねた遅秋の京都.鬱々として楽しめぬ旅であった.あのころから桜の便りを聞くまで何人もの大切な人たちが永の旅立ちをしてしまった.熊倉賢二先生もそのひとりである.私の医師としての本格的な人生は,熊倉先生との出会いから始まる.インターンを終え,白壁研究室で半年を過ごし,癌研附属病院内科のレジデントとして,先輩とは名ばかりで会ったこともない熊倉先生に教えを受けることになったのは昭和42年の年も押し迫ったころのことである.以来,熊倉先生が慶應義塾大学医学部放射線診断科の教授として癌研附属病院を去られるまでのおよそ7年間,私は熊倉先生とともに過ごし,熊倉流の手法を学んだ.
医学論文の書き方の神髄をどこに求めるべきか.最も起承転結が明確である文章とはどんなものであるか.正解は思いがけないものである.結果として,私は,週刊誌に連載されていた川上宗薫や梶山季之の文章を繰り返し読むはめになった.あの謹厳実直を絵に描いたような第一印象の熊倉先生が,エロチシズムの巨匠と言われていた作家を読めとは思いもかけないことだった.
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