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このテーマについて連想すると,いくつかの事柄が浮かび上がってきて,それぞれをつなぐと一つの輪郭が見えるようにも思われる。それは「パーソナリティ障害」の病態について再検討するということである。
1)最初の連想は,「部分対象関係」という精神分析の用語であった。関連して,救急担当の医学部附属病院医師である知人から,某地域におけるパーソナリティ障害患者の衝動制御の困難による自殺未遂,自傷への救急対応について,最初から多職種チームが役割分担して対応策を立てるので,いわゆる「振り回し,振り回される」という操作的な治療関係(これは患者ばかりに原因があるとは言えない)が起きない,と聞いたことが思い起こされた。力動精神医療では多職種チーム医療による入院治療,A-Tスプリット(精神療法と,主治医の担当を分けること)という多面的な対応が推奨されていて,筆者の90年代の米国留学経験はこれについて大いに学ぶところがあった。知人が話していたのは必ずしも力動的な理解,すなわち生育歴に遡る発生的理解,自我心理学的な発達ライン上の固着点と防衛機制の同定,あるいは対象関係論に拠る内的空想世界とそれに伴う不安の原始的防衛機制がもたらす転移・逆転移関係における「対象」の象徴的意味の理解・解釈といった,いわゆる精神分析的な理解と対応と,現実的マネジメントのそれぞれを整理する力動的なアプローチの実践とは異なるようであった。この伝え聞きには,衝動制御に問題があり救急救命室を訪れるような患者には,深層心理の理解が重要なのはもちろんのことであるが,それぞれの担当者が「深入りしない」ながらもその職務の範囲で責任を果たすことでも十分治療的なのではないか,と思うところがあったからである。本来の医療は「患者に必要なことを提供する」ことにあり,「治療者が行いたい医療を供与する」ことではないのは論を待たないが,分析的な治療を志すとどうしてもそこに分析的治療を行いたいという治療者の野心が治療関係に入り込んでしまい,エナクトメントという早期の対象関係の再現,あるいは医原性の行動化をもたらす場合も少なくないということは肝に銘ずるべきだろう。「とにかく私がなんとかしましょう」という無意識・前意識的なメッセージを排し,部分的なかかわりですよ,そうではありますができることはお手伝いします,と端から断っておくこと,すなわち大風呂敷を広げないこと,は患者にとって意味のあることなのではないか。
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