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はじめに
たしか1980年頃であったと思うが,これまでみたことがないような女性のうつ病の患者が入院してきた。我々は操作され,看護スタッフ間と医師・看護スタッフ間に治療や処遇を巡って深刻で激しい対立が生じ,患者は自傷行為や自殺企図を繰り返し,他患やスタッフに対する暴力行為が頻発した。これまでの伝統的な受容と共感と薬物療法では全く対処できず,私たちは立ち尽くすばかりであった。そうした患者が次々と病院に訪れるようになり,私たちはその対処を考えなくてはならなかったが,境界性パーソナリティ障害の文献や書物を調べても「理論はあっても具体的な治療法はなし」という状態であった。一人の境界性パーソナリティ障害の患者によって病院のスタッフの半分が辞め,病院が崩壊しそうになったということを聞いたことがあった。「先生の講演を聴いていればこうならなかったと思います」と聞かされたことを憶えている。当時の境界性パーソナリティ障害の患者の症状は激しかったのである。「境界性人格障害の初期治療」は実践的必要性から執筆したものである。その当時家庭内暴力(DV)は子どもが親に加える暴力であったことは注目に値する。また,治療共同体運動や反精神医学の潮流が濃厚に残っていた時代でもあった。
1990年に入ると自己愛性パーソナリティ障害の患者が来院するようになった。解離性同一性障害(多重人格)のケースも多かったと思う。当時は政治の季節は終わり,競争と他との差別化の時代に入った。人からどう見られるのかが重要な時代に入ったのである。
私たち臨床医はいわば患者という葦の茎穴から世界を見ているようなもので,大数的統計的な分析を行うことはできない。まして特定クリニックに受診したときにすでに一定のバイアスがかかっているので,一クリニックの経験がどこまで事実であるのか確信がない。それでも私の周囲にいる精神科医たちは最近パーソナリティ障害は「少なくなった」「軽症化した」と述べる。私の印象も同様であるが実数が少なくなったかどうかは疑問である。
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