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精神活動が何らかの仕方で大脳機能に依存していることに異論はないと思われるが,その関連の仕方については,さまざまな考え方がある。かつて哲学者H. Bergson(1919)は,精神活動を服にたとえ,服はかけてある釘につながっていて,釘が動けば服もゆれる。だからといつて釘が服の細部に対応しているとか,釘と服は同じものであるとはいえないと述べ,精神活動の独自性を主張した。近年のJ. C. Eccles(1978)の仮説では,意識する自己と物質的脳は,大脳のリエゾン野(liaison areas)によって相互に連絡していて,自己意識のある心は神経事象に対して,選択的,能動的役割を果たしている。それによつて,意識体験の統一性が保たれると推測している。われわれ精神科医は,実際の臨床においては,心的事実を尊重するとともに,神経学的所見にも目を配っているのであるから,Ecclesの相互二元論に近い立場で仕事をしているといえそうである。では,Ecclesのいうリエゾン野とはどこにあるのだろうか。Ecclesは優位半球を重視し,その中でも最広義の言語領野,前頭前野など異種の情報が収束する領野,及び絵画や音楽など非言語的に交流する領野を挙げているが,そのあたりかも知れい。
臨床的にこの問題をもっとも直接的に取り扱ってきたのは,神経心理学の分野である。以前の神経心理学は,失語,失行,失認などの症状とその本態をめぐって果てしない議論をするかなり特殊な分野という印象をもたれていたようである。故大橋博司先生の名著「臨床脳病理学」(1965)の序文の一部にも,「何分諸説紛々として混沌たる対象であるため」と述べられている通りである。しかし,X線CT出現以前に出版されたこの著書には,豊富な臨床経験と深い学識に基づいて大橋先生のバランスのとれた見解が随所に示されていて,それは神経心理学を学ぶ者にまたとない指針を与えてくれるものであった。はじめは分かりにくい個所でも,実際に症例を経験してから読みなおすと,症状の奥行きとでもいうべきものがその達意の文章にこめられていることが分かり,私達はこの著書を通じて神経心理学の知識だけでなく考え方を学ぶことができたと思う。
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