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1980年に米国精神医学会から発表されたDSM-IIIに対して我国でも精神科医の関心が予想以上に集まり,日本精神神経学会を始め,WPA京都シンポジウムや精神科雑誌にもとりあげられ,ミニDやトレイニングガイド,ケースブックの日本訳も出版された。DSM-IIIの診断基準には賛否はともかく多くの長所があることが認められるからである。このように今日までDSM-IIIの紹介は主としてそのユニークさと我国での適用可能性などに視点がおかれてきたが,2年を経た今日,有用性とともにその問題点をとりあげてみようというのが本特集を組んだ理由である。似たような趣旨で最近は「精神医学における診断の意味」と題するワークショップの報告も出版された。
DSM-IIIは我国のみならず世界各国の精神医学会に多かれ少かれ影響を与え,WHOの精神障害の国際疾病分類ICDの将来計画にも無視できない刺激を与えている。この辺の事情は本特集号の「ICD-10をめぐる動き」の欄や座談会の部分で論じられている。DSM-IIIはそのままを我国に適用することは勿論,国際的分類に応用することは問題があることは事実であるが,その基本的特徴は従来の精神障害の分類の前提を根本的に考え直す契機を与えていることも事実であろう。国際的な精神障害の分類を考えるにあたっては,種々の基本的問題が検討されなければならないであろう。WHOの会議では例えば必要な分類は個人の分類なのか病気の分類なのか,両方が必要であるとしても実際にどのように処理するのか根本的に考える必要があろうと報告された。また多軸分類がよいのか範疇的分類がよいのかも問題である。多軸分類を押し進めると個々の症例の診断的記述になってしまう上,精神衛生対策立案者や行政責任者にとっては統計上複雑すぎて厄介になる。しかし範疇的分類ではその疾病原理に理論的前提が多すぎて,研究上の障害となってしまう。DSM-IIIのように診断基準に操作的基準を用いるとすればどの程度までそれは許されるべきなのかの問題もある。操作的基準の限界がどこまでかは現在の知識のレベルでは未解決である。操作的基準は実体を究明できる部分を彫り出す手段であるのに,実体自身と誤解されるおそれがある。そしてそもそも世界共通の分類が可能なのかという問題がある。WHOは文化的に普遍的な分類が可能であるとして,ICDを発展してきたのであるが,文化特異的な現象を捨てさらないように配慮しなければならない。このような現象には病像形成的な色づけとしてのみしりぞけられない病因的な意義をもつ重要なものがあるからである。
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