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Ⅰ.
躁うつ病と早発痴呆との鑑別をめぐる論争は,Kraepelinがこの2つの疾病概念を創設した当時からすでに始まっていた。この問題は,Homburgerの論文やStranskyの著書の中のすぐれた展望にみられるように,長く,そして成果のない争いであった。成果があがらなかったのは当時の症候論があまりにも大雑把なものであったからなのではなく,それにもかかわらず個々の研究者のまちまちな評価によって勝手に境界が設定されてきたせいである。たとえば,「うつ病性の狂気」(depressiver Wahnsinn-Kraepelin)とか,「躁病性の狂気」(manischer Wahnsinn-Thalbitzer)などという名称はいうにおよばず,Bleulerですら当時は,「躁うつ病に属する一部の発作(Anfälle)は幻覚性・妄想性の狂気(halluzinatorischer u. paranoider Wahnsinn)を呈する」というような言い方をしていた。Dreyfusはさらに,ほとんどの遅発性緊張病(Spätkatatonien)を主観的・部分的な抑止(subjektive partielle Hemmung)というあいまいな概念を用いて,メランコリーの領域に組み入れてしまった。Wilmansは1907年,「明白な躁うつ病性または循環病性の発作に引きつづいて出現する緊張病性症状複合は,躁うつ病固有の症状(eigentumliche Äuβerungen)とみなすべきであり,治癒しうる」と書いている。Ursteinはこれに対して2年後に次のような反論を唱えた。「緊張病状態の前駆症状や残遺状態として出現する躁うつ発作ないしは,緊張病症状を伴って出現する循環病性症状複合は,緊張病独自の症状である。」つまりこの文章はWilmansの文章のほとんど文字どおりの裏返しである。諸々の見解がこのように不統一のまま,正確にいえば,証明不能のまま次々に出現した後に,1902年Kraepelinが次のようなあきらめの調子をおびた文章でこの古い論争に終止符を打ったのも,驚くにはあたらない。「この2つの疾患の満足な鑑別が不可能だということがますます明白なことになってきているという事実は,我々の問題提起の仕方が誤っていたのではないか,という疑いをいだかせる。」
しかし,ちょうどそのころ新しい問題提起がなされようとしていた。すでにBleulerは,彼の分裂病書の中で,この2つの疾患が合併する可能性を疑問視しながらも,「混合精神病」(Mischpsychosen)という言葉もあちこちで使用している。だが,Bleulerはそれを実際の診断に生かそうとしなかった。一方これとは別に,Kretschmerの精神身体的体質類型は実際の診断的帰結を含むものであった。Kretschmer自身が名づけた「中間精神病」(intermediäre Psychosen)が,新たに別の観点から関心の的になった。事実,当時次のようなことが期待されていた。つまり,体質研究と遺伝学が力を合わせれば,躁うつ病性症状と分裂病性症状とが一見不規則に混合しているこの謎にみちた疾患を,「2つの体質圏の配合」(Legierung zweier Konstitutionskreise)として,「表現型の交換」(Erscheinungswechsel)として,さらには「交差精神病」(überkreuzte Psychosen)としてうまく説明できるのではないか,と期待されたのである(Gaupp,Hoffmann,Mauz,Eyrish,Minkowskaら)。つまり,論争中の境界を確定するのではなく,とりのぞくという方向で問題が解かれた。KretschmerはSmithの研究をもとに次のような大胆な結論に達した。すなわち,それぞれ異った遺伝素因をもつ両親の子供にみられる精神病の約半数は,純粋な躁うつ病か分裂病かであり,残りの半数は混合精神病であって,これには,次の3つの病型が存在する。第1は,はじめのうち一見躁うつ病と思われていたものが分裂病性の終末状態に移行するもの,第2は,持続性の分裂病が,ある時期に躁うつ状態を呈するもの,第3は,分裂病期と躁うつ病期とが交替性に出現し,寛解を反復する経過(remittierender Verlauf)をとる精神病である。
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