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I.はじめに
簡易精神療法あるいは短期精神療法については英語圏では多くの研究1,9,14)がみられるが,わが国では,筆者の知る限り,笠原のうつ病に対する小精神療法7,8),山口・轟の若年患者の短期精神療法15)など少数の研究があるのみで,それほど論じられていないようである。
筆者が簡易精神療法に関心を持つ理由は,次の3点からである。
1)日常診療上の要請。昨今,精神療法を求めてくる患者,精神療法的接近が必要と思われる患者は増加しつつある。これらの患者すべてに対して長期にわたるインテンシヴな精神療法は行ない難いとしても,でき得る限りの精神療法的接近は行ないたいと考える。しかもそれが,より深い精神療法と矛盾するものではなく,治療者側の時間的余裕や力量,患者側の要請などに応じて深め得るものであること,すなわち,開かれたものであることが望ましい。
2)精神療法にのめり込み,溺れ,精神療法を万能視する危険を避ける。精神療法はいつも必ず行なったほうが良いというものではなく,多ければ多いほど良いというものでもない。むしろ,不必要な精神療法に耽溺したり,治療の名のもとに不必要に患者を依存的にしたりしない節度が治療者には要請される。ここで述べる簡易精神療法は「さほど有益ではないかもしれないができるだけ無害な」精神療法にとどまろうとする試みでもある。
3)様々な精神療法に共通する因子の探求。現在,精神療法には実に様々な立場があり,各々が自己の正当性を主張している。この混沌とした状況はRaimy, V. 10)の次のような言葉によく示されている。すなわち,精神療法とは「断定できない結果を伴い,非特異的な問題に用いられた正体不明の技術。この技術を得るためにわれわれは厳密な訓練を要する」一方,様々な精神療法による治癒率には,さほど差のないことが指摘されている3)。また,古代から現代に至る様々な精神療法に共通する因子を見出そうとする努力もいくつかなされている4〜6,11,12)。筆者の日常的に行なっている簡易精神療法をはっきり言語化することも,多くの精神療法に共通する因子を検討する一助になるであろう。
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