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I.はじめに
第1報において,非定型精神病者における「受身の生」について考察した。彼らは他人との「約束」の中に自分のかたちを紡ぎ出そうとして,その時その時に変化する状況に応じて,絶え間なく緊張した作業を行ない続けている。「約束」の中に自己の現われを求めるのは,先験的な自我が世界の内で「実現」されるという保証のもとに生きるのとは対比的な生き方である。彼らは「現実志向性」が強いが,このことは彼らがある程度確立した自我境界を前提として,その上に役割性によるセキュアリティを打ち建てることを自らの生として選んでいるということを決して意味しない。むしろ「現実志向性」は,自我の手応えのなさの中へ拡散してしまいそうな人間が,日常論理の中に辛うじて自己を切り刻みながら調整していこうとしている休みなき営みの表現であると考えられる。彼らは,「私」というもののあいまいさに常に足元をすくわれながら生きている。「私」とは,「私」と名付けられることによって去って行った体験たちの残した,巨大な不在である,というところから,彼らは生き始めているようである。彼らは情緒性にすぐれているが,立脚点である「私」のあいまいさのために,その情緒性も,人づき合いの中で消費されてしまうところのひそかな関係性の感覚としてしか残らない。他者と自己との位置を測るパラメーターとしての明快な感情を生み出さない。そのような情緒性を,「ものいわぬ情緒性」とした。次に,非定型精神病者の中に,転換症状を示す患者と共通の性格の見られること,非定型精神病者の中にしばしばヒステリー的色彩が見られること,いわゆるヒステリー性性格が非定型精神病者の性格像の中に透視されること等を指摘した。そしてヤスパース1)の言うような,「取り替る殻だけから成り,自己の内には何もない」ように見えるいわゆるヒステリー性性格が,実は上に述べた非定型精神病者の「受身の生」の,極端な尖鋭化であるという視点から,逆にフロイトのヒステリー者に関する記述を出発点として,非定型精神病者の「受身の生」を論じた。
さて,次に示すように,覚醒てんかん者についてJanz2)の行なった性格描写も,やはりヒステリー性性格と共通した要素を含んでいる。
「覚醒てんかん者を区別する特徴は,不安定性と思慮のなさへの傾向である。また容易に影響され迷いやすいことや,辛抱と野心のなさ,仰々しさ,怠慢などが特徴であり,時には誇大癖や自慢癖があって,極端な場合にはこれが虚言癖にまで進む。彼らの情動は激しく,気まぐれな不機嫌に落ち込みやすいがすぐにまた平穏となる。ふつうのよく働いている人々に比べて自分が不利な立場に置かれていることがわかると,彼らはしばしば不信や嫉妬や頑迷さをもって反応するので,彼らの行動はややもすると子供っぽく見える。彼らの絶望の期間は決して長く続かないし,また自責の念にしても同様である。彼らは自分自身に対して無関心であり,また自分の健康に対しても無関心なため,彼らの間には心気症はない。しかしこの無関心が,しばしば治療上の困難を生む。生活を規則正しくしてゆくことに治療上の力が注がれねばならないのだが,これがなかなか守られにくい。彼らは性格においても,植物神経系の機能においても,不安定さが目立つ。ビンスワンガーやクレペリンもすでにこの種の人格を描写しており,『てんかん性ぺてん師』とか,『てんかん性精神病質者』とかいう誤解を招きやすい名前で彼らを呼んでいる」。
人格の内部に一貫した自我感が感じとられにくいこと,その一方で誇大,自慢癖等の傾向のあること,そして子供っぽく見えることも,これらの特徴は,ヒステリー性性格とその基本的な枠組を同じうするように見える。その枠組の意義については後に考察することになるが,非定型精神病者においても覚醒てんかん者においても,その生き方の基本的な事態が,ともにその標識としてヒステリー性性格という極端型を示すことが非常に興味深い。言い換えれば,両者に含まれる受身の姿勢のいくぶん人工的な尖鋭化が,ヒステリー性性格であると言えないであろうか。そしてこのことは,性格論的見地からばかりでなく,ヒステリーという病理現象と,覚醒てんかんという病理現象の関連を考察する上でも,常に計算に入れておいて良い点ではないかと思われる。
以上のことと密接に関連して,非定型精神病者と覚醒てんかん者に関する臨床的事実も,両者の間のいくつかの対応点を示唆している。たとえば,両者はともに現実に対し,それを受身に受け入れてゆくという形での強い志向性を示す反面,必ずしも現実適応が良好でなくて,閉塞的な神経症状態に陥りやすい。また環境の変化の与える影響に敏感で,たとえば,発症の前に不眠が出現すること(これは病気の経過の一部とも考えられるが),しばしば何らかの心的あるいは身体的な無理(負荷)がかかっていることが見出される。家族力動の点から見ると,患者に積極的かつ天真らんまんに密着したがる親の存在が目立つ。また,家系の中に,それぞれ分裂病,睡眠てんかんに比して,遺伝負荷の見出される率が高いようである2,3)。重要なことに,型の移行の問題がある。てんかんにおいては,覚醒型は睡眠型ないし汎発型へ移行する。内因性精神病においては,非定型精神病者の一部は,入退院を繰り返すうち,分裂病類似の病態へ移行する。この2系列の移行の間には,何らかの類比点が見出されはしないだろうか。覚醒てんかん者の性格像がヒステリー的なものを介して非定型精神病者の性格像とつながるものを持ち,一方睡眠型てんかん者の示す精神面の異常が,しばしば分裂病様であること6)は,そのことを裏付けてはいないだろうか。上述した臨床的観察の検討はこれからの課題であるが,ここではまず,非定型精神病者と覚醒てんかん者の人となりに関する比較考察をさらに進めておきたい。
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