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病識がBesinnungの能力によるものであるかぎり,その障害は広く精神障害全体に共通のものであるから,自己の病に対する患者の構えを観察することによつて,その患者の人格が,どのように,あるいはどの程度まで障害されているかを知ることができ,そこからそれぞれの精神障害がもつ特徴的な人格構造をある程度とらえることができるのではないかと考え,まず今回は,定型および非定型分裂病者の自己の病に対する『構え』を比較考察した。
定型分裂病では,本来fremdatigなものであるべき病的現象を,そのようなものとして受けとる能力が乏しく,また現実と非現実との混同が見られるが,このことはGemeinsirmの喪失,または関心欠如(Interesselosigkeit)を意味し,したがつてかれらには,自己の変化した精神生活への人格的な反応,すなわち精神力動(Psychodynamik)をほとんど認めることができず,かれらにとつて,ただすべての現象は単なる“Geschehnis”として流れ去つていくのみで,“Erlebnis”となつて人格のなかにくみいれられ,それを豊富にすることはない。したがつてそこには,ただ空虚な無関心しかみいだすことができないのである。このような『無関心な構え』にもとつく病識の障害は,まさしく病識の欠如であり,入格の解体によるものとみなすことができる。
これに反し,非定型分裂病者の『構え』はつぎのようなものである。種々のfremdartigな病的現象を,自己防衛的に加工しようとする(verarbeitend)構え,受診時,または入院時に見られるような,自己の病を認めることに対する極度に否走的(verneinend)な構え,再発した場合,人格の深層においては病識を有しながらも,病的現象によってそれがおおわれ,またはそこなわれていると思われる両価的(ambivalent)な構え——これらの構えは,いずれもかなり了解可能なものであり,このことは健全な人格の残存を意味しており,この種の患者が,たとえ病的現象の活発な時期においてさえも,なおその精神力動が保持されていることを示しているということができる。
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