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外国の論文を読んでいて,文句なしに感心することがひとつある。それは症例の態度や行動記載がいかにも精彩に富んでいて,患者がまるで眼の前にいるようにその様子をまざまざと思い浮かべられることである。生活史や家庭歴,それと患者自身が語ってくれた言葉の記載は,日本の論文でも結構詳しい。患者の体験内容を了解したり深層心理学的に解釈したりするにはそれで十分間に合う。しかし精神医学の臨床にとって一番大切なことは--精神療法にとってはもちろんのことだが,それ以外の治療にとっても,さらには診断にとってすら--そのつどそのつどの面接場面において診察者が直接に感じとる患者の全体的印像を的確につかまえておくことだと私は思っている。だから,患者の表情,態度,振舞いかた,話しぶりなどの真に迫った描写が論文に記載されているのといないのとでは,その症例のもっている現実性を再構成しうる度合いは大いに違ってくる。この点に関するかぎり,西洋人の書いたものは日本人(だれよりもまず私自身を含めて)のものとくらべて,残念ながら格段に上等である。
私たちが学生のころ,精神科のポリクリでは患者の状態像のベシュライベンを徹底的にしぼられたものだった。患者が診察室のドアを開けて入ってくるときの様子から始まって,椅子に腰をおろす仕草,診察者に対する態度,表情,言葉使い,声の大きさや抑揚等々を,それも全部ドイツ語の形容詞を使ってことこまかに描写させられて辟易した記憶は,いまでもまだ生々しく残っている。精神科に入局してから,なんとかベシュライベンが上手になる方法はないものかと先輩に相談したら,クレペリンの臨床講義を読めといわれた。読んでみるとさすがに見事なものである。しかし最近レインが皮肉たっぷりに引用している通り,クレペリンの記載からは患者をまるで物体のように観察する冷やかな眼差しが感じられて,読んでいてあまり良い気持ではなかった。
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