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今回ホノルルで行なわれた世界精神医学会議には,私自身の旅程の都合上,バンクーバーの世界精神衛生大会出席,アメリカ・トピカのメニンガー財団病院見学のあと,8月31日から9月2日までの全3日間しか出席できなかった。しかもこの会議全体の構成は全体集会11,シンポジウム128,その他にも特別集会,特別講演,自由討論,映画やビデオなどの尨大な内容を8月28日から9月3日までの7日間でこなしているのだから大変濃密なスケジュールである。午前ひとつ午後ひとつの会合に出席しても全6回にしかならず,私自身もっとも深い関心のある病院治療,地域医療,精神病理,精神療法関係のものを選ぶにしても一苦労であったが,ともかく8月30日の夜同行の窪田彰氏(海上寮療養所)と共に数時間かけて検討した上,特に勉強になりそうなものを選び,会議に臨むことにした。以下紙数も限られているので,出席した集会の簡単な内容報告と,特に私自身が受けた強い印象とそれにもとづく感想を中心に述べたいと思う。
まず8月31日の午前は「境界例と自己愛的状態の精神療法」をきいた。最初の演者カナダのG. J. Sarwer-Fonerは「境界状態の精神療法」と題して,共生関係をつくり易く,進歩と退行を繰り返す症例を挙げつつ,治療同盟の成立こそ,治療の目標であり,正統派精神分析はそのまま適用できず,患者の自我の支持が重要であると述べた。なおここで副司会者のJ. F. Masterson(米)との間になされた質疑応答は対抗転移の結果おこる治療者側の不安の処理が大切で,これへの耐容力がその治療関係を確かなものにし,結局患者を現実世界に引き戻すことにつながるであろうという内容であった。これは丁度12年前の日本精神分析学会第11回総会において似たようなテーマを論じた神田橋條治氏が私の質問に答えられた内容に通じていて大変興味深かった。次のアメリカのS. Tuttmanは「重篤障害者に対する精神分析的援助」と題して,これらの患者の自我の未分化の問題を指摘し,段階的な情緒的発達の必要性を説いた。なお彼に限らず,一般にこれらの集会ではM. MahlerやM. Kleinの説が重要視され,これを自分の考え方に多く取り入れているように思えた。最後の演者アメリカのLC. Wynneは「境界状態の精神療法における家族:それは援助か妨害か?」と題して,家族療法の大切さとその内容のもつ微妙さを論じた。すなわち境界例患者は分裂病者より一層周りの人間と葛藤をおこし易く,家族が治療を求めてくることが多いこと,また家族と一緒に住む緊張がその症状悪化に関係していること,更に問題指向性の治療が重要で,治療者が相互共通的立場を維持しつつ,現実指向性,問題指向性に焦点をおくことによって,当面の問題は解決され得るのだという事実が見本になるとする。そしてこれまでの家族とは違った態度を示すことにより,結局家族よりの分離が可能となる。またその治療方法は家族・患者の両者の間に入って,その葛藤を和解させ,家族との上手な生活の仕方を提示する。そして家族療法には個人療法と違い,限界がなく,またその治療終結時期決定のむつかしいことにふれ,深層精神分析的精神療法は他の治療と協力・平行して進められるべきだなど臨床上有益な具体的問題が多く示された。その後各演者,司会者との間に興味深い討論がいくつかなされたが,それらについては正式の学会報告録に譲りたい。
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