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I.はじめに
有史以来,こころの座がどこにあるかについては,多くの論議と思潮の変遷を経てきたが,今日の医学では中枢神経系の機能が,すなわち,こころ(あるいは精神)である,とすることに抵抗を示す人は少ないであろう。
ギリシャの哲人であり,医学の祖といわれるヒポクラテスは,次のような文章を残し,こころの座を脳に求める思想のはじまりを開いた。『人は脳によってのみ,歓びも,楽しみも,笑いも,冗談も,はたまた,歎きも,苦しみも,悲しみも,涙のでることも知らねばならない。特に,われわれは,脳あるが故に,思考し,見聞し,美醜を知り,善悪を判断し,快不快を覚えるのである。……』。
その後,こころが脳のどこに局在しているかについては,ガレノスらの流れをひく脳室局在論(16世紀の初め),デカルトによる松果体説(17世紀後半)などを経て,18世紀後半に至り,こころの大脳皮質局在論が提唱されるに至った。
さらに,今世紀に入って,脳定位固定装置の発明によって,脳の深部,すなわち視床下部や大脳辺縁系を含めた脳幹の機能をあばくことができるようになり,現在では,こころの動きのうちでも,知覚,認識,意志や,思考,判断,創造や,記憶,学習のような高次な精神活動は,大脳皮質とりわけ連合野の機能と関係が深いことが明らかになってきた。
これに対して,意識とか,情動,本能や,体内諸臓器の調整のような低次な精神活動,いわば,動物界に共通した生命保持のための原始的活動は,主として,視床下部や大脳辺縁系によって支えられていると考えられる。
ここでは心身相関を,主として生化学的な立場から掘り下げる目的で,"こころ"を上述の脳の働きの中でも,動物界に共通した原始的な機能に限定し,一方,"からだ"を体内諸臓器のいとなみ,とりわけ代謝機能,というふうに置き換え,両者の相関関係を視床下部に接点を求めて述べてみたい。
すなわち,第1点は情動,本能行動の発現と視床下部とのかかわりについてである。情動の変化が体内諸臓器の機能を左右することは,よく知られた事実であり,この意味で視床下部と体内臓器との間には密接な結びつきがあると推定される。
第2は,この点を更に明確にするため,体内諸臓器の代謝が視床下部によって支配されていること,ならびに内臓機能が逆に,視床下部の働きに影響を与える,という事実について述べる。このことは,とりもなおさず,生体の恒常性維持機構(homeostasis)を解明することであり,ここに明確な心身相関の姿をみることができる。
第3に,外部環境と体内諸臓器とのかかわり方の一例として,ある種の外的情報が視床下部の機能と結びついて固定化される,つまり条件づけられると,体内代謝が特定方向に変革されるという可能性について触れる。これを仮に,代謝の条件反射と呼ぶことにする。
これらの解析を通じて,"こころ"と"からだ"の接点としての視床下部の重要性を浮き彫りにするとともに,神経症あるいは心身症(たとえば,消化性潰瘍,高血圧症,喘息,蕁麻疹,狭心症,糖尿症など)の多くは,視床下部と体内諸臓器との間にとり結ばれている相関が破綻をきたすことに起因する可能性のあることを指摘したい。
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