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I.はじめに
老齢になると,とかく学問の世界から遅れがちになる。私もこれまで,ときおりTranscultural Psychiatry(以下,T. C. P. と略記)の語を見ていたが,あまり注意を払わなかった。最近,T. C. P. と比較精神医学を書いた本誌の特集号9)を読み,少し検べてみたいという念に駆られた。それは,昭和10年より終戦まで満州医大精神神経科に勤務し,その間比較民族精神医学の旗幟の下に,在満諸民族の精神医学についてfield workを行なった懐かしい思い出があるからである。これについては最近発表したが11),これは単なる思い出話で,こんにち的時点よりの吟味はなされなかった。T. C. P. よりわれわれの研究を考えてみたいと思ったのが本論文の動機である。本論文では,T. C. P. に対する私の考え,すなわち,T. C. P. の概念の吟味や批判・限界などにも触れる。現今,わが国では,比較精神医学や比較民族精神医学の語は,T. C. P. の語に圧倒されているかのように見える。しかし,後述のように,比較民族精神医学はT. C. P. により代られるものでなく,不要なものとして廃棄さるべきものでもない。比較民族精神医学の語は,現在なお存在理由があると思う。
約30年前より研究機関を離れ,現在私は,文献蒐集に不便な状況にある。また,この不便を克服して文献をあさる気力も体力もない。手許にある若干の文献を参考にして,自分の考えたことを主として述べたいと思う。
T. C. P. や文化精神医学は,いうまでもなく精神医学と文化人類学の双方に跨る学問である。かかる境界分野を開発するには,両分野に通じておくことが望ましい。私は本論文を書くにあたって,文化人類学や社会学の書を何冊か読んだが,これは自分の考えを進める上にたいへん参考になった。
文化人類学界では,しばしば,安楽椅子人類学者Armchair Anthropologistということがいわれる。field workを全くせずこれで手が汚されていない人が,他人のデーターを借用して仮説や理論を述べる学者をいう。現地調査を重要視する文化人類学界では,かかる学者を多少軽蔑の意をこめてこの語を使用することもあるらしい。私は10数年のfield workの経験をもっているので,いま安楽椅子的見解を述べても,その資格があり,以上の批判より免れるように思う。
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