先覚者にきく
関根真一先生をたずねて
関根 真一
1
,
江副 勉
2
,
臺 弘
3
,
清野 昌一
4
1国立武蔵療養所
2都立松沢病院
3東京大学精神科
4国立武蔵療養所
pp.4-18
発行日 1971年1月15日
Published Date 1971/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201692
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精神科医への道
江副 それでは,月並でまことに恐縮でございますが,先生が精神科の専門医になられた動機といいますか,そんな所からお話を伺いたいと思います.わたし共の時代でもそうでしたけれども,先生の時代では特に医学校を卒業して精神科の医者になるということについては,いろいろとご家族やご親戚などに反対の気分あったり,端から「どうも……」というふうに,どうして精神科の医者になるんだろうというふうな危惧の念を生ずる時代ではなかったかと思うのです.そのような雰囲気の中で先生はこの領域に飛び込まれたのですが,先生の当時のお考えや一般の医学生の考え方とかをお伺いできればと思います.
関根 私はわりあいその点には恵まれていましたね.というのは親父が田端脳病院の関係者でした.創立当時は東京脳病院といいましたが,そこの創立者の1人だったんです.医者ではなくて病院の経営管理の仕事を担当していた.それで親父は病院のなかに寝泊りしておったのです.そして母と私共兄弟は埼玉で生活して,親父は年に1回か2回しか帰ってこないというような環境でした.田端脳病院の院長は後藤省吾先生で,亡くなられたあとは後藤城四郎先生*がなられた.黒沢良臣先生**も副院長になられたことがありました.
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