回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・14
戦時体験のあれこれ
内村 祐之
1,2
1東京大学
2日本学士院
pp.609-616
発行日 1967年8月15日
Published Date 1967/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201232
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前回に述べたラバウル出張のちよつと前の18年4月に,同僚の中から最初の戦争犠牲者が出た。それは松沢病院医局の吉松捷五郎君であつた。当時,セレベスの司政長官だつた東龍太郎さんの要請により,同君を派遣したところ,その乗船が,フィリッピン近海で潜水艦に攻撃されて沈没したのである。しかし,同僚の悲報が相次ぐようになつたのは,19年の末から20年の終戦の年にかけてであつた。東大の教室関係からだけでも,実に十指に余る若い戦争犠牲者を出したのである。
若い諸君の召集も引き続き行なわれ,大学の医局は目に見えて寂しくなつた。この間にあつて,最小限度にもせよ,教室の機能が維持されたのは,多少とも健康に問題があつて召集に洩れた諸君と,女医さんたちの力であつたといつてよい。
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